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時間ですよ~40年前のホームドラマから見えてくるもの~ [テレビ番組]

 TBSがCSで昭和45年に放送されていた「時間ですよ」を流している。このドラマは銭湯を舞台にしたホームドラマ。演出家久世光彦の出世作としても知られる。当時はエロ・グロ・ナンセンスという言葉が流行した。この時代を象徴する言い方で高度経済成長という言葉もあるが、1970年こそがその言葉がはまる年。万博が大阪で開催された年でもある。
子どもは親の目を気にしながらどきどきしながら茶の間でみた。当初、演出の名でクレジットされているのは伊藤勇だが久世の演出になってナンセンスとテンポ、そして人間の描き方が一変した。演出に久世の名がクレジットされて2回目の回は船越英二演じる松の湯の主人祥造が家出する。夫婦の気持ちのあやをうまく演出していた。
「時間ですよ」を見て感じるのは人と人との距離が今の時代と比べてはるかに近いということ。ドラマでそう描いてるからその時代の現実もそうだとはいわない。しかし今から見ると、私のように少し孤独癖のある者にとっては息苦しく感じるくらい、みんなくっつきあって生活してるのだ。みんなが「ちゃん」づけで呼び合い、一挙一投足にいたるまで口をはさみあう。個人的思いはともかくとして集団の中で仲間意識が,無意識のうちに当然のものとして理解されている。このドラマに出てくる若者は団塊の世代であるが、その仲間意識には幼稚さや甘さも感じられる。それ以上世代の描き方は長屋の寄合所帯の中で懸命に生きる人たちのものだ。
震災を受けて行われる春の甲子園。宣誓を行った球児の言葉に「仲間に支えられる」というものがあった。「時間ですよ」で描かれているのは、そこにいれば仲間として受け入れられ、また振る舞わなければならない当時の社会の空気だ。高校球児の宣誓をあの松の湯おかみ、松野まつが聞けば「あらこの子、何当たり前のことをしょった言い方するのかしら」なんていうかもしれない。昭和45年はそんな時代だった。一方で「世知辛い世の中」という言い方もこの時代あったような気もする。当時ですらドライな人間関係が世に広がりつつあると感じていた。
40年は時代精神の移ろいをいやがおうにも感じさせる。昭和45年の40年前は昭和5年だ。昭和5年の社会とはどんな空気だったのだろうか。それを知る人たちは今いない。



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