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「オウム真理教の精神史」「警察庁長官を撃った男」 [書評]

オウム真理教の精神史―ロマン主義・全体主義・原理主義

オウム真理教の精神史―ロマン主義・全体主義・原理主義

  • 作者: 大田 俊寛
  • 出版社/メーカー: 春秋社
  • 発売日: 2011/03
  • メディア: 単行本
    警察庁長官を撃った男

    警察庁長官を撃った男

    • 作者: 鹿島 圭介
    • 出版社/メーカー: 新潮社
    • 発売日: 2010/03
    • メディア: 単行本






     週刊文春で館花隆氏が書評エッセイで取り上げていた2冊。1995年に発覚した事件は世紀末日本を象徴するものだった。警察庁長官狙撃事件はいまだ解決されていない(2010年3月30日時効成立)。「オウム真理教の精神史」の著者大田俊寛は1974年生れの宗教学者。事件当時は21歳である。キリスト教の異端思想グノーシス主義の著作がある。
    サブタイトルにあるように大田氏はオウム真理教が抱いた幻想をロマン主義・全体主義・原理主義の3つの視座を運用して解明を試みる。これは20世紀の思想家が共産主義を総括し乗り越えようとした時の方法と似ている。しかし共産主義批判と異なるのは科学と宗教に対するとらえ方だろう。マルクスは宗教を「阿片」とし幻想的幸福としての宗教を捨てよと論じた。共産主義自体が後の思想家たちにその宗教性を指摘されてるのだが。そのその対峙存在としての科学や科学的思考をマルクスは重視する。一方オウムは宗教性の中に科学を取り込む。宗教的心理の追究のための手段として。
     オウムは近代がもたらした闇の思考の所産物かもしれない。それは近代の価値観が生んだ「常識」を少しずらして積み上げた結果生まれてしまったと筆者は考える。振り返って今の日本社会はどうなのか。戦後思想のいろんな常識を積み上げて、大丈夫、文句などいわせないという高層ビルがやがて少しずつ斜めに傾き、結果崩れ落ちた。それが今我々が目にしている日本ではないか。オウムの愚かさを我々は軽侮し、排除できるのであろうか。
     オウム真理教は我々日本と日本国民の愚かさの象徴であり、予兆だったのだ。

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