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父と子の関係は一言ではいえない~先代猿之助と市川中車 [ニュースコメント]

 市川中車といえば筆者の世代からいうと八代目。「大忠臣蔵」で吉良上野介を演じた老優なのだが、懐かしい名前を今年聞き、しかも香川照之が襲名したというニュースを知ったとき、歌舞伎の世界にある「業」というものを感じざるを得なかった。父と子の相剋を描いた演目が多いと思うのだが、猿之助と中車の半世紀近い歴史はそれに匹敵するものだ。
 香川にとって父猿之助は強大な、そして自分を否定し続ける存在で有り続けた。母と自分を捨てた男。物心ついたときからそ男は斯界の天才とされ、戦後の新作歌舞伎を牽引した。少年時代の香川の猿之助を見る視線と精神。想像しがたい複雑さと屈折が心に刻まれたに違いない。香川は東京大学を卒業すると俳優の道を選ぶ。母親の影響もあったのか。そうではなく父を越えるために役者の世界を選んだと筆者は思う。20年経ち香川は日本を代表する役者となった。大河で秀吉役を演じる役者は将来を嘱望された才能が担うという定説がある(最近はそうでもないが)香川はその役を射止め、さらに「龍馬伝」や「坂の上の雲」の演技は多くの視聴者をうならせた。香川には越えなければならない壁があった。いうまでもなく父猿之助である。役者業と平行して香川は母から父を奪った藤間紫と交流を持ち、猿之助との関係修復に動く。現代の家族関係で子どもの方から離縁した父に関係を修復を試みるのは稀ではないのか。この行動こそ香川の人間性の深層とつながっているように思う。だが父は「親でもなければ子でもない」と歌舞伎さながらの口上で拒否。この猿之助の対応が筆者には素晴らしく、そして切ないのである。勇気を出して「澤瀉屋!」と小声で叫んだかも知れない。そして猿之助は脳梗塞で倒れる。芸の精進をあきらめねばならぬ危機。
 父と子のパワーバランスの崩れを香川が逃すはずがなかった。すでに親交を結んでいた従兄弟の亀治郎と組んだ企てが歌舞伎界への参入。事態は御覧の通り。父猿之助は子に屈し、孫を團子を膝の上に置いた。香川の攻めに白旗を掲げた猿之助は役者として復帰という目標を立てた。そして先日舞台には二代目市川猿翁の凛と経つ姿があった。黒子で出演する中車がテレビカメラに映された。芝居とはいえ、いや芝居と現実がないまぜになった劇中劇。猿之助の眼は子との闘いに敗れながらも再び役者として再起を果たした男の凄みがあった。
 香川の歌舞伎入り。精神医学的には「子の父殺し」かもしれない。だがそんな例えがどうでもよくなるほど歌舞伎の世界に流れる「業」を目の当たりにした思いだ。猿翁の復活という果実も得た。香川はすでに四十代。梨園ではどこまでやれるかわからない。役者としての思いは息子市川團子が引き継ぐことになろう。香川にとって梨園で枢要な地位を得るのはもはや意味がないと思う。父を越えることが彼のリゾンデートルであったの間違いないが、彼のこれまでの生き方は父をすでに越えていると思う。猿翁と中車。親子の相剋を越えた二人の人生に拍手を送りたい。


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