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『人生の色気』古井由吉・新潮社2012年11月26日 [書評]

 「この本を手にしたのは震災前だったのか」と、読み直して思った。小説家古井由吉のエッセイ。難解な文章で知られる古井が時語り口調の平明な文章で綴られた作品。筆者は小説を殆ど読まずして青年になった。もちろん漱石芥川あたりは読みこなしているが現代のものはほとんど読まない。だから古井の高名さは知らない。時折新聞の文学時評に写真入りの随筆をチラ見するだけだ。今回古井の社会の見方に対してちょっと敬服してしまった。大作家なんだから当たり前だろと思われる人がいるかもしれないが、筆者にとって文学や文壇などは人生にとってまったく縁のないものゆえ、許して欲しい。彼は内向の世代に分類される作家であり、彼自身もそういう振り分けを受け入れている。左翼運動に距離を置き、市井の中で内なる自分とその周辺に向かいながら小説を綴る。彼の随筆を読んで勝手に彼の文学での立ち位置を書いた。面白かったのが電子化、ネットワーク化で出版社の交際費が使えなくなり、出版社の、あるいは編集者のpatronageが機能しなくなってしまったいう話だ。王侯貴族から始まって新聞や出版社が小説家の生活を何かと面倒を見られた時代が消滅したというのだ。「クリエーターに金が回らない時代」とある元ゲーム会社の人間が話してくれたが同じような状況が文学の世界でも起きていた。そういえば最近の小説家は大学教授を兼業してることが多い。乃至は連れ合いが企業など組織に属した固定サラリーを持ち家計を支えているケースも多い。(小説は読まなくてもこういうことは知っている)筆で生計を立てる時代はとっくに終わってしまったのだろうか。古井のエッセイで頷けたのをもうひとつ。いっしょに学生運動でバリケードの中で戦った先輩が1年後今度はテレビ局の取材者としてバリケードの中に入ってきたと言う話。「お前等の理解者としてジャーナリストたる俺は報道する」得意満面の先輩と白々しい気持にさせられた後輩。そういう光景が目に見えるようだ。その頃は人手不足で学生運動に「うつつをぬかし」ても十分大企業の組織人になれたのだ。時代は変わってしまったのである。
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