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検察とマスコミの関係 2014年5月18日 [政治]

今週の田原総一朗 激論クロスファイア は元検事の郷原信郎がゲストだった。検察と司法記者との関係について答えていた。郷原氏は今の検察には批判的立場であり、故にテレビにも出演することが希なのだそうだ。テレビに出るとその局の検察取材がやりづらくなるという。郷原氏はいう。「司法記者は従軍記者だ」と。戦争現場に同行し、将校や兵士に密着して戦場を報道する。その記事は戦況を逐一伝え、士気を鼓舞するものの戦争への疑問や軍への批判は存在しない。それと司法取材の現場は同じだという。数々の冤罪はマスコミの無批判な報道も責任の一端を担っていると。かつて検察の神様と呼ばれた河井信太郎という検事がいた昭和電工疑惑など戦後の数々の疑獄や汚職事件を手がけ、検察の神様と呼ばれた。彼が神格化した象徴的な疑獄が造船疑獄。犬養健法務大臣が指揮権発動し、佐藤栄作幹事長の逮捕を止めさせた事件である。これにより検察VS政府・自民党という構図ができあがり、河井はその象徴となった。しかしその取り調べはかなり杜撰であったことが「指揮権初発動」(渡辺文幸著)などの著作であきらかになっている。東京地検が特別な存在になり、そのトップの書いた図を立証するために下の検事が無理な取り調べを行い、結果様々な冤罪を生み出したというのだ。しかしこうした構図はいわゆるドキュメンタリー番組の構成や演出、編集でも同じ事がいえるのではないか。最初に決めたストーリーのもとに切り絵を貼るように番組を作る。結果事実と番組ができてしまう。局と外部制作プロダクションの関係がその理由ともされる。学生時代に読んだ伊藤栄樹の『秋霜烈日』。感心して読んだものだが冤罪を生み出す構造のイデオロギーとして読み直すべきではないか。SNS時代、公開と説明の時代では通用しない理窟ともいえる。時代は変わったのである。

司法記者 (講談社文庫)


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