四月改編で感じたテレビの緩慢なる「死」 [ニュースコメント]
溜飲を下げるためのメディア 2016年3月31日 [ニュースコメント]
テレビの情報番組の最近の風潮としてネットの検索キーワードのランキングを紹介するコーナーを設けるようになった。これは小欄でも記したとおりだが、これに加えスタジオで取りあげるネタもネットで炎上もしくは祭りになってる(こういう表現は好きではないが)ものを取りあげることが増えた。たとえばテレ朝の朝のワイドショーでは横浜の公園の花見で日揮という企業が5日間に渡って場所を独占してるとことが批判され、日揮は謝罪と撤収を表明したことを取りあげていた。試しに<日揮 花見>ご検索を入れれば事の次第がおわかりになると思う。スタジオでは訳知り顔のコメンテイター企業を批判する。それをみた視聴者は「そうそう」とでも思い「溜飲をさげる」のであろうか。他の番組を含めてこうした溜飲を下げるネタをこうした番組は探し続けるのではないだろうか。しかしこの番組は放送が終わった後、ADに場所を取らせて近くの公園で花見をしてたりはしないのだろうか?などとも思ってみる。乙武問題といい、「日本死ね」といいこうした番組は溜飲を下げるネタをこれからも探し続けるのでは。アメリカではテレビ番組の司会もやっていた大統領候補が毒舌を振りまき、それに溜飲を下げた人々が彼を支持している。
清原覚醒剤逮捕 2016年2月3日 [ニュースコメント]
情報番組はかつてのスポーツアナがMCをやってる場合が多い。どんなコメントを行うのか。ちなみに筆者が昨夜すぽるとを視てた際にニュース速報で清原逮捕の報道がなされた。しかしこの番組のMCはこのニュースのコメントはなしであった。生放送でしかもスポーツ番組なのに。この番組のプロデューサーの意識の低さにあきれた。
SMAP解散騒動に思う 2016年1月20日 [ニュースコメント]
イブの夜を歩く [ニュースコメント]
ここ30年近く続けていることはイブの夜の街を独りで歩くことだ。人々の表情を、街をみる。バブル時代から続けている。自分が学生時代からだ。今年は六本木ヒルズを歩いてみた。耳を澄ます。聞こえるのは様々な国、世代の言葉だ。バブル時代は原宿から表参道は若者で埋め尽くされた。ここ数年は家族で出かけている風景もよくみる。電飾も変わった。豆電球からLEDに。21世紀に入ってから青や白になり今は時間をおいて青から赤に色を変える。六本木ヒルズの広場には特設のクリスマス店舗やブースが並び、ケーキの甘い香りが漂う。みんなこの日ここにいられることの幸せを思ひ浮かべているような表情。筆者がハワイのビーチでみた顔と同じ表情だ。若者のためから家族のためへ。クリスマスは変わった。それは2011年のクリスマス以降特に顕著になった。
恒例のクリスマスイブの彷徨を終えて都内の行きつけのバーに。夜9じ30分。ドアを開ける。ママは「あなたがきょうの最初の客よ」といわれた。みなさんにメリークリスマス。
視聴率悪化。フジテレビ初の営業赤字(中間決算) 2015年11月7日 [ニュースコメント]
フジテレビの低迷は当分続くはずだ。
ワンマツチで評価を180度変えたチーム 2015年10月14日 [ニュースコメント]
言うまでもなくラグビー全日本チームである。日本ラグビー界には国の内外に敵を抱えていた。国内にはアンチ安倍、アンチ森に連なるマスメデイア。彼等は新国立競技場問題を政局に絡め、政権批判に利用した。森喜朗が影響力を持つラグビー協会は優遇されているとされ、新国立競技場をメイン競技場からはずされた。国外では伝統国から日本は開催国としてふさわしくないとされ、今回の国立競技場問題のゴタゴタから開催地の変更を動議される危険性が噂されていた。この国内外の敵をそれこそタツクル一発で倒したのが先のワールカツプ南ア戦である。最後のワンプレー。PKなら同点、スクラムなら逆転の状況でリーチ・マイケル主将は迷わずスクラムを選んだ。そして見事トライを獲得した。この精神が世界のラグビーフアンを奮わせた。体力差をカバーするための低いタツクル、そして80分走りきるスタミナ。ラグビー本来の楽しさをそれまで一勝しか挙げたことのないチームが教えてくれたのである。開催地を南アにしようという声はあの試合以来消えた。そして国内ではラグビーブームの沸騰である。今回の快挙は日本にはまだやれるという勇気を教えてくれた。
村上春樹、選ばれぬ理由 2015年10月9日 [ニュースコメント]
筆者も学生時代に愛読し「ノルウェーの森」や「1984」なども読んだ。最近のエッセイは未だ読んでいないがいずれ手にしようと思っている。ファンの期待に反してなぜ彼はノーベル賞に落選し続けるのであろうか。その理由をネットで調べると散見されたのはイスラエル文学賞授賞式でこの国を訪れた際に政府首脳の前でイスラエル批判を行ったからというのがあった。だがこれは理由にはあたらないだろう。もうひとつはその作品性が「通俗的」と選考委員会から分類されてるのではということ。これはある程度信憑性があるのではないか。あまりにも世界で村上作品は売れすぎている。ポピュラーすぎるのである。文学賞受賞の作家を並べてみるとよくわかる。これは小谷野敦も指摘している。もうひとつ。ポピュラー性とも関係するのだが地域性、時代性とも距離を持った作品性が21世紀の中でコメントしづらいのではと思うということ。寡聞なのでこれは間違っているのかもしれないが、ファンの多さや売れ行きなどの社会現象に比べここ最近はその文学観や作品性についての分析が少なくなったように思うのだが。それだけ世界的な人気なのだということかもしれぬ。独断なので自信はない。でもそんなことは関係なく村上作品は世界から愛されている。筆者もノーベル賞なんて蹴っ飛ばせの立ち位置だ。それよりも最近方法論にこだわる方向性が自分には気になる。村上作品は自分には文体であり、世界観だ。
連夜の受賞 2015年10月7日 [ニュースコメント]
連夜の受賞に日本が湧いている。ノーベル物理学賞を東大の梶田隆章教授が受賞した。昨日の大村智氏についでの日本人への栄誉。TPP合意のニュースも霞んでしまうくらい。大村氏の受賞は日本のかつての感染病研究の系譜につながる成果といえるが、梶田氏の受賞も素粒子論の系譜といえそうだ。
日本の素粒子論は長岡半太郎以来数多くの泰斗を生み出しており、湯川秀樹氏が1949年に物理学賞を受賞している。その後も受賞は続き日本が世界の素粒子論に貢献してきた歴史といえる。元来は「紙と鉛筆さえあればできる」とされた素粒子論だったが、80年代に入ると局面は一転する。素粒子「論」を実証するための巨大な装置が作られるようになる。それが岐阜県のカミオカンデやスーパーカミオカンデである。ある意味日本の経済力が後押ししたともいえる。小柴昌俊 、戸塚洋二氏らが切り開いた理論と実験の場が今回の梶田氏の受賞といえる。ある意味チームの受賞といえる。だが失われた二十年で日本の科学研究の世界もスーパーカミオカンデのような実験場を作る余裕は失われていると聞く。素粒子論の系譜をどう引き継ぐか。課題といえよう。
未明の奇跡 W杯ラグビー日本南アに勝利 2015年9月21日 [ニュースコメント]
民放のBSが面白い [ニュースコメント]
1200の思い 2014年8月8日 [ニュースコメント]
この8年、日本は変わった。しかしそれ以上に世界は変わってしまった。人口構成が高齢化しているのか日本の対応力が衰えている。世界は来年、そして再来年とこれまで以上に目まぐるしく変わる。それも安全保障の面でだ。社会の片隅に棲息しているものとしての立場からこれからも書き連ねていきたい。
ワールドカップ報道に思う 2014年6月17日 [ニュースコメント]
小保方さんのこれから 2014年4月2日 [ニュースコメント]
理研もSTEP細胞の存在そのものを否定したわけではなく、この論文では存在を証明できないということなのだが、いずれにしても小保方氏は激しく反発している。まだ30歳。彼女がこれから研究者生活を続けていくかはわからない。研究者として日本国内で存在するのは難しいのではないか。この研究には莫大な資金が必要であるし、また利権がからんでいる。美容医学といった保険医療からはみ出した分野のマネーが転がり込むのではと言う指摘もあった。アメリカに移住して研究を続けるかも知れないし、シンガポールが資金を提供して彼女を招聘するといったことも起きるかもしれない。いずれにせよ小保方氏は再度論文を作成、提出することが必須である。
袴田事件と報道2014年3月28日 [ニュースコメント]
48年ぶりに釈放された袴田巌さん。78歳の高齢である。刑務所から出所し、ホテルに至る車の中をいわゆる箱乗りでテレビ朝日(報道ステーション)が取材した。裁判所に移動する以外では車に乗るのが半世紀ぶりと想像される袴田氏。取材陣は執拗に車中でインタビュー。故か袴田氏は車酔いし吐いた。にもかかわらずその後取材陣はホテルの地下の寒い駐車場で弁護士を使って更に長々とインタビュー。「何が食べたい?」「ステーキはどうか」「お酒も飲めるぞ」「ケーキは?」などとマイクを向ける。刑務所で半世紀世間と隔離され、釈放されたばかりの元死刑囚。人疲れでホテルのベッドに横になりたいのがありありと表情に出ている。報道ステーションでは「事件当時、連日十数時間の過酷な尋問を行った結果、事実に反して「やった」と自供を強制させられた」とリポートしていたが、この取材はその過酷な取り調べ同様の辛さにみえた。尚もカメラはホテルの客室までに及び、寝間着に着替える余裕もなく眠りこける袴田氏を撮影し続ける。そして眠りから覚めた袴田氏にさらなるインタビュー。「ふかふかなベッドですね」。いったいこんな取材が必要なのかどうか?検察に優るとも劣らない過酷で執拗な取材。大いに問題ありだ。
エンディングノート(終活ノート) 2013年12月24日 [ニュースコメント]
ニューズウィーク「反日韓国の妄想」 2013年9月26日 [ニュースコメント]
小欄で筆者は日韓のメディア双方が嫌韓・反日を煽り遭っている現状についてコメントしたが、それは日韓メディアだけではなさそうである。ニューズウィーク誌(日本版)はここのところ韓国の反日が植民地支配の怨嗟だけに原因があるのではなく「反日新時代」が水面で起きているとリポートしている。福島原発報道、東京五輪招致反対、日系企業への戦時徴用に対する賠償金支払い命令など止まらない反日ハリケーン。反日をこれまで沈静化させていた古い世代の保守層の退場と反日教育で育った世代の社会中核進出、経済成長への自信。中国への台頭。こうした要因が重なり、植民地支配の怨嗟や日本コンプレックスだけでは説明できない新たな反日の地殻運動が始まっているという。理性的な声がかき消され世代交代した反日が次のステージへと運動をうごかしつつあるという。日本から見れば異様な精神風土がこの国を覆っている。日韓のメディアではないアメリカのメディアが「妄想」とこきおろす韓国の反日運動。双方読み違いが続けば、例えば日韓基本条約の韓国の一方的破棄など深刻な事態が出来するとも限らない。
能年玲奈という女の子 2013年8月17日 [ニュースコメント]
「あまちゃん」がブレーク中である。宮藤官九郎の台本はもちろんだが、やはり主演の天野アキ演じる能年玲奈の魅力に依るところが大きいと思う。黒目がちの猫背の女の子。wikiで調べると兵庫の山間部の出身だそうである。彼女のオフィシャルページを見てみた。「あまちゃん」が放送前の彼女の書き込み。フレーズがどれも短い。話すことは苦手かもしれない。イラストも書くようだ。写真が好きらしい。家と家との間を撮ったり洗濯機3台を撮ったり。オフショットだらけのブログ。普通はプロダクションが認めないような写真がゴロゴロしている。田舎から上京して東京になかなか馴染めない、ナイーブな感性が透けて見える、と勝手ながら推測した。陳腐な言い方だが等身大の女の子の内面がそこにはある。ほぼデビュー作で代表作を手にしてしまった能年玲奈さん。1年前とは全く違う人生が彼女の前にある。この夏、最高の輝き魅せる彼女。その輝きは一瞬かもしれない。内面のナイーブさで同じものを感じさせる新垣結衣は所属事務所の先輩だそうだ。
アベノミクスと国柄 〜BSプライムニュースフジ〜2013年8月5日 [ニュースコメント]
アベノミクスと国柄は共存しうるのか。三本の矢の戦略の向こうに日本の「良き国柄」(歴史や文化、制度の流れ)は保全しうるのか。国民の多くが持っているだろう危惧をテーマに西部邁氏と柴山桂太氏をパネリストに招いて2時間議論した。二人はアベノミクスの3本の矢のうち、金融緩和策と財政出動は諒としつつ、成長戦略の背景にある、規制緩和とグローバリズムに関しては極めて否定的に捉えていた。規制緩和を叫ぶ論理のデマゴギー。グローバル主義に潜む価値のアメリカナイズと平板化。こうした議論で日本人が陥りがちなのは明治維新の「開国神話」である。日本は有史以来何度かグローバリズムに遭遇している。古くは四世紀から五世紀、遣唐使の時代、日宋貿易、日明貿易、南蛮貿易の時代である。不思議なことにその後に日本は国を閉ざす鎖国を選択している。逆に言えばグローバリズムの後には必ずその逆の波が来るということである。長いレンジで歴史を考えれば、軽々に我々がグローバリズムに対して直近の「開国神話」に囚われるのは危ういのである。西部邁氏と柴山桂太氏。彼等は佐伯啓思氏を通じてつながっている。この二人が描く国家像とは何であろうか。柴山氏は「何を守るか」を考えよという。例えば大学の英語教育。グローバル人材を育てるという目的のために小学校から大学教育まですべて日本語でできる授業という文化基盤を破壊していいのか?アジアで唯一、その国の言語で高等教育が行える国のソフトウェアを毀損していいのか?オバマ政権もヨーロッパも行きすぎた規制緩和を元に戻す動きが出ている。翻って日本はどうなのか。失ったものは簡単には戻らないのである。
女性客層を狙いだした週刊文春 2013年7月9日 [ニュースコメント]
そしてこれまで男性をターゲットにしていた週刊文春もどうやら女性ターゲットに方向舵を変えたらしい。如実にわかるのは皇室記事。雅子妃に関する連載がやたら増えた。女性自身や女性セブンかのような目次。団塊世代が退職し、駅売りが低迷しているのはわかる。しかし安易に女性にシフトしてはそれまでの読者を失うことになる。筆者はかつてアエラをよく駅で買っていたが、今は本屋でページす開かない。試験の成績が優秀な学生を採用すると往々にしてこうした「みんながやる、もっとも間違いの少ない方法」に会社の方針は傾いていく。女性を狙うのではなく「オヤジ化した女性」を狙うのが文春なのではないのか?
オーストラリアのフェアプレイに感心平成25年6月4日 [ニュースコメント]
教師・長嶋茂雄2013年5月8日 [ニュースコメント]
新歌舞伎座こけら落としを前に2013年2月20日 [ニュースコメント]
先日、日生劇場で二月大歌舞伎を観た。義経千本桜吉野山と新皿屋鋪月雨暈。幸四郎の口上は息子染五郎の復帰あいさつ。観客に安堵の雰囲気に充ちた芝居であり、観覧の気分はよかった。昨夏の事故以降歌舞伎界には不幸が相次いだ。特に勘三郎と団十郎の死は新歌舞伎座の舞台のど真ん中に立つ二人を失ったことであり、歌舞伎界に今危機感が奔っている。しかし筆者はある確信を得ている。30代40代の役者達の急速な進歩がこの危機を救ってくれると。大看板の喪失の後はなぜか救世主が現れるものである。希望的観測かも知れないが染五郎の忠信の激しい踊りを観てそう思った。
日本フィギュアの強さの訳平成25年2月12日(火) [ニュースコメント]
団十郎の死 [ニュースコメント]
市川團十郎が死去した。各社のコメントやVTRはあらかじめ死を予定したかのように準備されたものだった。享年66.新歌舞伎座のこけら落としを前にこのところ歌舞伎役者の死が相次いでいる。暮れの勘三郎、そして今回の団十郎。新歌舞伎座の主となるべき看板役者の次々の退場。熟年の役者の層の薄さが課題になるかもしれない。
30年間で最も歌われた曲2012年11月6日 [ニュースコメント]
朝はラジオだ 2012年10月31日 [ニュースコメント]
日中緊迫のリスクが引き起こす経済2012年10月30日 [ニュースコメント]
問われる週刊誌ジャーナリズム2012年10月19日 [ニュースコメント]
今回の事件(筆者はそう思う)、朝日新聞がいうような「本社とは別会社であり、編集権も違う」といった言い訳は通じない。ジャーナリズムの取材姿勢の根幹に関わる問題だと深く認識すべきだ。朝日新聞の主筆は若宮啓文氏。若宮氏は長野支局時代に部落解放同盟の協力を得て後世にも評価の高い部落問題のルポルタージュを書いている。主筆が今こそ朝日新聞社としての考えを言明すべきと思う。ネットで調べると週刊朝日の編集長は小学館から途中入社をした元編集者らしい。彼がどのような考えを持って今回の報道に及んだかは定かではない。かつて週刊朝日で記者として執筆し本社に戻って政治部長など本社編集の中枢に戻っている社員も多い。別会社とはいいわけにすぎない。昨夜編集長は早々に白旗を掲げ謝罪コメントを発表した。かつてナチスとユダヤ報道で問題を起こした文藝春秋社の雑誌は即廃刊となった。今回が「雑誌(週刊誌)ジャーナリズムの自殺」とならないように願う。解放同盟は今回沈黙を保っているが気になるところである。