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十九世紀的ナショナリズムとの闘い [ニュースコメント]

富がアジアに集まりつつあることは世界史的な流れと認めよう。日本型モデルと呼ばれるものがあるとしたら、現在のアジアの各国はグローバリゼーションの中で日本型モデルに則って経済成長を行い、その果実を手にしだしたと言えよう。アングロサクソン国家は世界の工場たることを諦め、金融工学に新たな市場を求めているがサブプライムからリーマンショックと挫折を繰り返し、オバマ政権は輸出立国という旧型モデルに戻る選択をしている。日本は旧型モデルを変えないおり、こうしたグローバリズムの中で経済的影響力を縮小している。こういったところが日本を取り巻く世界経済の今ではないだろうか。
話を本題に移そう。かつて日本にナショナリズムが勃興したのは明治半ば。富国強兵の直中で欧米に生糸などの輸出が伸びていた頃だ。富が集積すれば国家は民主的路線を取るという考えは西欧社会ではあり得るのかも知れないがことアジアに関してはナショナリズムを勃興させると考える。翻って今の東アジア。日本型モデルを早くに踏襲した韓国がナショナリズムに満ちているのは御存じだろう。中国のナショナリズムは元々あるし、隣の北朝鮮はナショナリズムを採ったら何も残らないのではといわれたらその通りである。ここで言いたいのはナショナリズムにの冒頭につけた「十九世紀的」である。19世紀。イギリスやフランスに遅れて産業革命を起こしたドイツは1871年にドイツ帝国となりイギリスやフランスを追撃しだす。この相克が20世紀の二つの世界大戦の伏線なるのだが、同じような情況が150年を経たアジアに起きつつあるのではと考えている。中国は海洋覇権を求め、東シナ海や南シナ海に領土領海を拡大させる長期戦略を持っている。この海域にいる国家は中国による侵略の危機を感じており、それがASEAN地域フォーラムでの中国とASEANとの対立、尖閣事件、日米韓国の軍事演習に連なっている。第二次世界大戦後の自由主義体制の根幹は①領土不拡大②自由貿易体制③民族自決 を基調としていた。この戦後体制に19世紀的ナショナリズムを煮えたぎらせた財布に金をたくさん詰め込んだ国家が「そんなの関係ねえ」と不敵に挑戦の意志を明確にしだしたのが中国なのではないか。近代の超克という議論が太平洋戦争前に五族共和八紘一宇の理論を支えた。これは戦前の日本型モデルの後付理論なのだが、今中国が目指そうとしているのはこの「中国版 近代の超克」である。しかし戦前と今の違いは富の集積がこのアジアでは戦前は日本だけだったのに対し、今は中国の後にインド、ベトナム、インドネシア、バングラディシュなど地域全体に富が集積しだしていることである。これが中国の暴走を止める盾になるのか、それともこの地域の軍事衝突を招来することになるのか。どちらになるかは歴史を教訓にした政治家の英智にかかっている。今度の日本の政権担当者は外交防衛政策にしっかりとした考え方を持っていないと歴史の大浪に日本をさらすことになる。事実民主政権の二人の宰相はその大浪を日本にさらした。
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