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文明災に直面した我々が問われているもの~豊かさ・便利さと安全・安心~20110424 [ニュースコメント]

 震災復興会議で梅原猛氏が今度の震災を「文明災」と称した。これまで豊かさと便利さを追い求め、科学技術を産業を発達させてきた人類への自然からの苛烈な警鐘だというのである。20世紀、1960年代から1970年代にかけて公害と呼ばれた様々な環境汚染の問題が生じたときも類似した論点が存在した。今回の場合は原子力発電の事故という科学文明・エネルギー政策の根本を揺るがす点で、我々に突き出された刃はこれまでにも増して鋭い。
 日本国民はあまり意識していないが国民が今享受している豊かさと便利さは原子力政策の上で成り立っている。まずこのことを自覚すべきだ。石油ショック以降、政府は中東情勢に影響を受けやすく、価格が不安定な石油から安くて、将来的には自給も見据えた原子力に活路を求めた。被爆国で核アレルギーを持つ日本にとってはある種の覚悟を決めての決断であった。結果、都市にはネオンの光が輝き、地方には街頭の光が暗い夜道を照らしてくれた。電力はものつくり日本の文字どおりダイナモとなり、製造業を支え、莫大な貿易収支の黒字を生み出した。財政は潤い、年金制度や健康保険制度など社会保障制度を支えたのである。
蛇口をひねればお湯が流れ、エアコンが一家に複数台あるような生活。24時間営業しているコンビニ、宅配などの物流サービスも、この70年代に原子力に大きく舵をきったエネルギー政策を土台にしている。
 今回の事故で菅直人総理は国の原子力政策を白紙に戻すと言明した。国民には「原発にはもうこりごり」という声も多い。しかし我々は覚悟しなければならない。これまでの豊かで便利な生活を続けることを諦める必要があるということを。
 電力が支えてきたものがいったい何なのかを国民はまだよく理解していない。計画停電でその一端を知ったにすぎないのだ。70年以降時代時代の政府が掲げてきた高度福祉社会も抜本的に見直す必要がある。我々はそれを知った上で国内の原子炉の火を消すべきだろう。その覚悟がないのなら、現状維持をしながら数十年後に脱原発をはかるといった長期戦となる。ドイツはこれから脱原発にエネルギー政策を転換するらしい。日本とドイツは新しい文明の価値観を創出することができるのだろうか。
 

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