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「方向性としては正しい」~安易に使われるワーディング~ [ニュースコメント]

 政治家やメディアがよく使う言葉に「方向性としては正しい」がある。これは係助詞「は」がついており、その後にいろんな意味が含まれている。曰く「実現できるかどうかは別である」など。以下思いつくまま列挙してみる。「「議論を始めなければならない」「説明が不足している」「透明性が担保されていない」。テレビで幾度も耳にする言葉だ。かつて「善処する」という言葉があったが、これを国会で政治家や役人が答弁に使う場合には「やらない」と同義だと揶揄された。今頻繁に使われる言葉にもそうしたところがないのか?「方向性としては正しい」には「机上の空論、責任は持ちませんよ」という意味が含まれているように、「議論を始めなければならない」には「責任を分割することで背負いたくない」、「結論を下すのは自分ではない」という下心が透けて見える。「説明が不足している」と「拙速ではないか」という一方で「問題を先送りしている」。こうした言葉が安易に使われた結果がこの国の政治的混迷、劣化、負の連鎖なのではないか。

 政策仕分けが行われているが結論を下すのではなく「方向性」という形で議論の結果が 表現される。民主党の政治的不毛と「治める力」のなさが表れている。

 


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