男子バレーと日本経済 [政治]
ロンドン五輪に毎日注目が集まっている。直近まではそれほどでもなかった関心がいざ始まると朝から晩までの大量報道。だがこの過熱ぶりの陰で寂しさを誘うのが日本男子バレーだ。40年前のミュンヘン。彼等の先輩は表彰台の一番高いところに登っていた。東京で銅、メキシコで銀とワンステップずつ上がっていた日本チームは、「今度は金を」と熱い期待がかけられていた。アニメと実写で構成された「ミュンヘンへの道」が放送され、国民的人気を集めた。表彰台の彼等は見事期待に応えた勇者の姿だった。体力差に劣る世界一になるためには世界初の技術開発が必要だった。クイック攻撃。今では常識の攻撃を主体にしたコンビネーションバレーは日本男子バレーのお家芸。身長の高い他の外国チームは翻弄された。70年代は男子バレーは世界強者の一角で在り続けた。だがそのテクニックは瞬く間に他チームにベンチマークされ、日本は低迷の長い道を歩み始める。ワールドカップや五輪最終予選を日本で開催されるなど優遇措置を受けながら勝てない。ミュンヘンの栄光を率いた松平康隆氏は昨年大晦日に鬼籍に入った。
日本男子バレーの低迷は日本経済にそのまま当て嵌まる。加工貿易でもの作り王国となる過程はコンビバレーの開発に重なる。そして中韓の日本型モデル踏襲もコンビバレーの世界標準化に。
五輪出場を逃した日本男子チームはワールドシリーズを12戦全敗で終えた。
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