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問われる週刊誌ジャーナリズム2012年10月19日 [ニュースコメント]

 週刊朝日の橋下徹氏に関する記事が問題になっている。報道ステーションはスルーしたがその他のテレビ局は大々的に報道、読売テレビは橋下市長の会見をライブ中継した。記事を書いたのはルポライターの佐野真一氏と取材班。内容は橋下氏の政治活動に関することではなく、その出自について、親戚関係を両親、祖父母に遡って取材した内容である。対象人物の親戚や同級生、恩師、若い時代の同僚を取材して実像を明らかにする。佐野真一氏の読者ならこうしたやり方がこの十数年の彼の取材方法だということご存じだろう。小渕恵三氏、小泉純一郎氏、石原慎太郎氏などに関する著書を思ひ浮かべる人がいるかも。彼等は一国の総理であったり都知事だったりと、いわば公人中の公人である。こうした手法で記事を書く事で対象の意外な素顔や思考の背景などを知らせるという効果はあるだろう。佐野氏はこの一連の作品で評価を得た。高名な賞も受賞した。では今回何がここまで問題とされたのだろうか。これから総選挙に打って出る政党のトップを取りあげたというのもあろう。だが問題は橋下氏のいわゆる被差別部落のに関する報道だ。橋下氏は「政策論争を放棄して自分の血脈を持って橋下徹を否定しようとしている。一線を越えている」として朝日グループの取材を今後拒否する行動に出る。筆者も昨日記事を読んだ。これまでのルポルタージュと違うのは対象人物に対する明らかな敵意だ。むき出しにしている。その敵意と被差別問題が交差すればどのようなことになるのか。しかもかつての興信所の調査に似た佐野氏の取材方法によって記事となればどうなるのか。メディアにたずさわるものならどういう結果を引き起こすかは当然予測できたはずである。小泉純一郎氏に関するルポでは秘書の飯島勲氏に関する記事にも、筆者はどうかと思っており、この辺のラインの引き方を佐野氏は誤っているのではと思う。週刊誌(雑誌)ジャーナリズムという語句がある。昭和三十年代から使われ出し、四十年代、五十年代に活況を浴びた。新聞やテレビのようにタブーを作らず果敢に挑戦する取材姿勢と評価もされたが一方で人権意識の欠如やぞっき趣味として軽侮された。ドキュメンタリー作家の揺りかごとして機能してきた。
 今回の事件(筆者はそう思う)、朝日新聞がいうような「本社とは別会社であり、編集権も違う」といった言い訳は通じない。ジャーナリズムの取材姿勢の根幹に関わる問題だと深く認識すべきだ。朝日新聞の主筆は若宮啓文氏。若宮氏は長野支局時代に部落解放同盟の協力を得て後世にも評価の高い部落問題のルポルタージュを書いている。主筆が今こそ朝日新聞社としての考えを言明すべきと思う。ネットで調べると週刊朝日の編集長は小学館から途中入社をした元編集者らしい。彼がどのような考えを持って今回の報道に及んだかは定かではない。かつて週刊朝日で記者として執筆し本社に戻って政治部長など本社編集の中枢に戻っている社員も多い。別会社とはいいわけにすぎない。昨夜編集長は早々に白旗を掲げ謝罪コメントを発表した。かつてナチスとユダヤ報道で問題を起こした文藝春秋社の雑誌は即廃刊となった。今回が「雑誌(週刊誌)ジャーナリズムの自殺」とならないように願う。解放同盟は今回沈黙を保っているが気になるところである。
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