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20キロ避難、いかになされたのか2012/07/18 [政治]

 報道ステーション2012/07/17で国会事故調の調査結果を元に原発からの20キロ避難が3月12日に設定された経緯がどのようになされたのかを報道していた。着の身着のままで避難した住民たち。3キロから10キロ、10キロから20キロと気流を考慮しないまま同心円状の立ち入り禁止地域を広げた政府。はたしてその判断はどのように、そしてどんな根拠に基づいて誰が下したのだろうか。避難区域は11日午後9時23分に3キロ、12日午前5時44分に10キロ、そして12日午後6時25分に20キロと範囲が拡大されていった。 現場は大混乱し、避難場所を6回変えた住民もいた。事故調委は何を根拠に20キロに指定されたのかに関心を持った。元名古屋高検の検事長櫻井正史委員はどういう状況判断で誰のどういう意見で総理が決定したのかを問いただした。これに対し菅直人総理は「専門家の皆さんのご意見を聞いて20キロ圈に拡大した」と述べた。総理のそばにいた専門家を報道ステーションは東京電力の副社長と原子力安全委員会委員長がいるが二人とも積極的に進言したことはないとし、原子力保安委員長も官邸から降りた使令を受けるだけだった。根拠もあいまいなまま20キロ圈避難が指示され15万人の住民が大混乱した。もとより議事録メモもとってない官邸。これまで筆者は菅直人氏の総理の資質を就任直後から疑い、その属性を「自己保身と責任転嫁」とした。菅直人氏のブログを見ると脱原発と自然エネルギー利用の活動について邁進するかのようなコメントが並べられているが、その前にすることがあるだろうという思いがこみあげてくる。彼の属性のひとつに自分の立場が危うくなると次なるイッシューを掲げて、局面をすり替える手法をとるが脱原発依存もそういうことなのだろう。総理にしては人士を日本は総理に、しかも未曾有の危機にその人士は総理の椅子にいたのだ。


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